鈴木博文 / 石鹸 (1990)

石鹸

最近、はちみつぱいムーンライダーズばっかり聴いてるんだけど、ああそうそうこんなの持ってたじゃんということで博文氏のソロを聴いてみたわけです、たぶん15年ぶりくらいに。そしたら、良いんだこれが。

僕の中に叩き込まれているムーンライダーズは『カメラ=万年筆』から『Don't Trust Over Thirty』までで、ちょうど80年代の諸作まるごとである。70年代のものはチラ聴きした程度であまり残ってないし今手元にないからなんともいえない。86年の『Don't Trust〜』から5年のブランクのあと出た91年『最後の晩餐』は初めて新譜として手にしたアルバムだがどうも苦手で、それ以降のものはほとんど聴いてない。またタイミング悪くちょうどその頃ファンクが僕の音楽生活の中心になりはじめていたので、ライダーズは迫害対象の筆頭になってしまった。

『石鹸』は『最後の晩餐』と同じ頃になんとなく買って数回聴き、なんか地味なアルバム、として放置され続けた不遇の作品(僕のCD棚においてだが)である。しかし15年経た今日から愛聴盤の仲間入りとなった。『最後の晩餐』はやっぱりダメだけど、これは相当気に入った。今年中にあと30回は聴くだろう。この先も、私の30枚、に入選することは絶対ないが、ずっと聴き続けられる地味な小品的ポジションを獲得した。アル・アンダーソンのソロに近い存在でしょうか。

どう地味かっていうとストレートなんである。ロックなんである。同じ曲でもライダーズでやったらもっといじくり回してヒネクレさせるに違いない。ライダーズを聴いていてもロックを聴いているという感触はほとんどない。もっとヘンテコな何かだ。それに比べると『石鹸』のサウンドは意図的にシンプルで素朴だ。いじくり回す前のデモっぽさと言うこともできるかもしれない。まあ、素朴とはいっても、そのへんにころがってる素朴さじゃなくてヒネクレ人間が垣間見せた素朴であるが。とにかくライダーズのアルバムには無い人肌感がすごくいい。

また、このアルバムはすごく宅録的でありそこがまた良い。けっこうゲスト使ってるけど、せーので録音というよりは一人で録ったものに必要な音を追加させるという使い方。クレジットを見ると「Hi-hat,Cymbal」なんていう役所で参加している人がいるところなど、かなり宅録的で好感度大。ハイハットやってくれないか?なんてなかなか誘えないすよ。

歌、声もいい。兄・慶一氏と似ている(所々笑っちゃうくらい似ている)が、独特のかすれた感じがあり線がさらに細い。兄貴に全部肉取られちゃったんじゃないかっていう風貌まんまの声だ。消えちゃいそうなひ弱さが良い。ちょっとスカしてるっていうかキザっぽいとこもあるけど、キマってないから問題なし。牧歌的なサウンドとよく合っている。

今回聴いてみておどろいたのは、すべての曲に覚えがあったことである。普通、15年前に数回聴いただけのアルバムだったらほとんどの曲は初聴きに近い状態になるもんだけど。地味なくせに、やるなあ。博文のソロはこれしか持ってないんだけど、他のも聴きたくなった。