Curtis Mayfield / There’s No Place Like America Today (1975)

There’s No Place Like America Today

特にファンクを聴くようになって以降、ゴージャスなアレンジは好きじゃなくなった。ホーンセクションは限りなくパーカッション的でなければならないし、完成されたサウンドよりも、なんか足りないんじゃないの?くらいの欠落感があったほうが音楽は面白い。『Rock Of Ages』は違和感があるのだ。

だから、カーティスのアルバムを聴くとき、ストリングス類やホーンの使い方が気になっちゃうことがけっこうある(『Back to the World』は別格的にオーケー)。そんなわけでカーティスの最愛聴盤は必然的に『Live!』なんですが、この『America Today』もカーティスのアルバムとしてはかなり異色である。

サントラの『Superfly』はいかにも映画用という感じの大仰なアレンジを多用したアルバムであるが、その中に一曲だけ「Pusherman」という、すべての贅肉を削ぎ落とした激渋アレンジのファンクがあり、僕はどうしても「Freddie's Dead」よりも「Pusherman」のほうに惹かれてしまう。

『America Today』はサウンド的には「Pusherman」精神で制作されたアルバムである。要所要所にストリングスやホーンも入るが華やかさはまったくない。要は、地味〜で暗〜いアルバムなんであるが、それ故に強烈なインパクト。引き算の美学、僕の大好きな地味派手サウンドである。

その最たる例が冒頭を飾る「Billy Jack」で、このスローで粘着質の緊迫感はタダゴトではない。レニクラによるジミヘン「Machine Gun」への賛辞「これを聴くと一週間は寝込む」というのが「Billy Jack」にもピッタリふさわしい。カーティス・メイフィールドは、トニー・ジョー・ホワイトと並ぶワウワウペダルの達人であるが、この曲におけるワウワウとボリュームペダルを駆使した3本のギターの絡みっぷりは一体何だ!?真ん中一本がメインのリズムで左右の二本は特にフレーズを決めずに垂れ流したという感じ。ギター3本の垂れ流しなんて凡人がやったらひたすらやかましいだけになりそうなものだが、これが恐ろしいほどにダウナーな隙間を感じさせてくれるのだ。その妖しげな黒光りはスライの『暴動』にも通じるものがあるが、圧倒的にこちらがタイトである。何故かというとリズム隊が死ぬほどタイトだからである。手数の少ない激渋なプレイをキープするドラムだが時折もう我慢できませんという感じで暴発的なオカズを入れてくるところが超スリリング。ベース(クラビとユニゾンか?)がまた必殺の渋さで「2小節に3音のみ」をひたすらキープする。そして、カーティスのアルバムで常に独特の存在感を放っている「歌うようなパーカッション」ももちろん健在。これらリズム隊と3本のギター、そして忘れた頃にフワーっとホーンが入ってきて渾然一体となりもう訳分からんのだが、サウンド全体の印象はものすごくミニマムなのだ。これ、ヘッドホンで真面目に把握しようとして聴くと、寝込む期間が二週間に長引きます。

さすがにこんな極限の緊張状態はやる方も聴く方も長くは維持できませんので、2曲目以降は比較的穏やかな風情(歌詞の内容はヘビーらしいがおれは知らない)の曲が並ぶ。ただし、その抑制故にもの凄い説得力というような緊張感はアルバム全体に貫かれる。この2曲目以降がまたえっらい地味なんだが聴くほどに必ずジワジワくるので、仮に初回退屈したとしても諦めずに100回は聴くべきだ。

最後にジャケについて。食糧の配給かなにかに列をなす黒人たちと、車に乗る裕福な白人家族の対比を描いてるんだけど、その白人家族のとてつもなくイヤラシイ表情が最高です。特に後部座席の男の子の極悪な笑顔はぜひチェックされたし。