鈴木慶一とムーンライダース / 火の玉ボーイ (1976)

火の玉ボーイ

ソロ名義のはずがジャケットが刷り上がったら「とムーンライダース」になっていてビックリした、と。じゃあなんで直さなかったのよって話ですが、もう手遅れな数刷っちゃってたんでしょうか。いずれにしても、その手の「手違いがそのまま」系エピソードって好き。実際、次作からバンド名義で30年続いちゃうわけだし。

でもこのアルバムに関しては内容的にもやっぱり正真正銘、鈴木慶一のソロですよ。それも歌手・鈴木慶一のソロアルバム。もちろん曲作り/音作りにも力入れててそれも素晴らしいんだけど、それ以上に歌へのこだわりっぷりをヒシヒシと感じるし、ほんとに歌が最高に魅力的だし、それがこの作品の正しい聴き方である、という気がする。

ムーンライダーズにおいては、歌をないがしろにしているわけじゃないと思うが、ボーカルも他の楽器と同等のひとつのパートである的なスタンスを強く感じる。その最たる例が『マニアマニエラ』で、「Kのトランク」とかのボーカルの聴きづらさ/埋もれた感じはかなり衝撃的。わざとヘタクソっぽいコーラス入れたりとか。僕としては当時そういうやり方がすごく好きで80年代のライダーズ作品を聴きまくってたんで、さかのぼって『火の玉ボーイ』を初めて聴いた時には、あれれ?鈴木慶一ってこんなに歌うまいの??と目を白黒させたと同時に、逆に違和感を覚えたりしたものです。

「酔いどれダンスミュージック」のファルセットから地声シャウトに変わるとことかゾクゾクするほどカッコイイし、「地中海地方の天気予報」のこれまたファルセットはウットリするほど艶やかだし、「午後の貴婦人」はあんた誰?っていうくらい異質な声色を披露してるし、なんつっても「火の玉ボーイ」「スカンピン」は文句なしの名唱。それでいて、ヘンにうま過ぎない、という絶妙な落としどころ。はっきり言って、田島貴男など宇宙の彼方まですっ飛ばされるくらいにソウルフルだ。と思う。

もひとつ、このアルバムで目を白黒させるのが、ほとんどの曲でリズム隊をつとめる橿渕哲郎(ドラム)と鈴木博文(ベース)の素晴らしさ。ムーンライダーズ名義のアルバムでは、生のバンドグルーヴのようなものを感じることはほとんど無い。特に前述の80年代作品群においてはそのような意図はハナから無いだろうから当然のことだが。そういう意味で、先に「慶一のソロだ」とか「歌を聴くのが正しい聴き方」的なことをさんざん書いておいてなんだが、バンド名義のアルバムで味わえないバンド的ノリを楽しめるのが『火の玉ボーイ』である、とも言えるのだ。

逆にいうと、ライダーズってのは純粋な演奏力の高さとか歌の良さを感じさせないくらいにサウンドをいじくりまわしてぶっ壊しちゃう、やっかいなバンドだということだ。

とにもかくにも、ここ数週間で『火の玉ボーイ』は私の中で赤丸急上昇中(実は十数年ぶりに聴いた)、俺の十枚入選か?という勢いなんである。ヒネクレ変人だけどセンチメンタリスト、というバランス具合がどうにも愛おしい。ジャケも最高。